泰緬鉄道
Death Railway

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 1943年に旧日本軍がビルマ占領作戦に備えて、タイ側のノーンプラドック駅〜ビルマ(現在のミャンマー)側のタンビューザヤッ駅間の総延長415kmをわずか16ヶ月程で敷設させた鉄道。約65,000名の連合軍捕虜と40万人近いアジア各地の強制徴用された労働者を使い、地獄の如き突貫工事を行った。建設の犠牲者は数万人とも十数万人ともいわれている。別名「死の鉄道(Death Railway)」。



 映画「戦場に架ける橋」の舞台となった、クウェーヤイ川にかかるカンチャナブリの鉄橋。英名は通称「死の鉄橋」。
 日本では「クワイ川マーチ」等で知られるが、「クワイ」と発音するとタイ語では男性の大事な部分を意味するので注意。タイ国鉄での正式名称は「クウェーヤイ鉄橋」。

 この写真は踏切から撮影しているのだが、この踏切りの反対側がクウェー川鉄橋駅の構内となる。駅と橋は本当に目と鼻の先だ。

 付近はすっかり観光地化しており、駅構内にある戦争の遺構は橋の両サイドにある爆弾のモニュメントと、日本製の蒸気機関車(C56)くらいだった。

 ボートの上から鉄橋を見上げる。
いわゆる鉄橋。

 普段は人が2本のレールの間を行き来している。列車がくるとみんな橋の途中にある退避スペースに逃げる。列車は制限5km/hの低速で通過してゆく。1日3本の列車がここを往復する。

 僧侶を見かける。地元の僧も生活道に使っているのかと思っていたら、もう一回橋を往復したり、立ち止まったり。どうやら観光できているらしい。

 日本のC56形蒸気機関車。大戦中、日本軍はタイからミャンマー(当時のビルマ)へ補給路を確保するために連合軍捕虜を使って突貫工事で泰緬鉄道の建設にあたった。その時にはるばる日本から運ばれ、使われていた機関車である。

 展示されているのは23号機だが、同形式の44号機は昭和後期に日本へ「帰国」し、大井川鉄道で現在も運転(動体保存)されいる。



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