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| 軽井沢1436発「あさま18号」を使って上野に移動。 上野駅1637着。 16番ホームではまだ「あさま37号自由席目当て」らしき列ができていなかったので、とりあえず安心。 秋葉原からタクシーで神保町の書泉グランデへ。碓氷峠もののビデオ2本買って撤収。 関係ないけど神保町って、上野からだと中途半端な位置ですねー。 地下鉄も1本で行けないし、乗り換えも遠いし、バスもようわからんし・・・。 |
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で。 3時間前の18時頃に行くと案の定16番線の事務室の裏に まだ各列4〜5人しか並んでいなかったので、新聞敷いて、 「あさま」のヘッドマークって、1種類だけじゃなかったんですね。28号が到着して35号になる時、マークがスクロールして微妙に違うデザインになってました。(今さら気が付いてもとは思うのですが・・) |
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![]() 16番線のホームでは先頭の9号車付近で「さよなら」セレモニーの仕込みをしてました。 |
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ボンネットの「ひたち123号」が20時30分に「あさま93号」と同時に出発すると、やがてアナウンス、 「業務放送! トオロクバン 回3037M 接近!」 ホームはいよいよ騒然とし、どうやらセレモニーも始まったよう。 でも何をしているのか、報道カメラマンの脚立群で全然わかりま せんでした。 見送りの客や、やじ馬の人たち、なにより普通にこの「あさま」を利用しているサラリーマン風の人たちも増え始めホームには黄色い線に沿ってロープが張られました。 |
| 肉声のアナウンスが響きます。 「16番線 ご注意ください! 本日最終の長野行き特急あさま37号、入線、いたしまーす!」 「21時ちょうど発の、長野行きの特急、あさま37号、入線いたしまーす!」 「入線の際 大変危険でーす」 手笛があちこちで鳴り響き、 「足元黄色い線の内側にお下がりください!」 |
| 反対側の15番ホームにも人の列ができ、そこにもカメラの列が。 いつもどおりテープの女性アナウンスが流れると、ホームの薄黒い屋根に反射したフラッシュの光だけが大宮方からこちらに徐々に近づいて 来ました。 胸の鼓動が高鳴ります。 やがてジョイント音が聞こえ、「あさま」の頭がちらりと見えたかと思うと、慎重なスピードで目の前を通過しました。 「完全に列車が停止するまで、お待ちください!」 「自由席のお客様、徐々に前の方にお詰め願います」 ついに最終列車は上野駅に入線したのです。 「業務放送です! トオロクのサンマルサンジュウナナ号、準備ができましたら、ドアを開けて下さい」 「自由席車両、各担当は誘導のほうをお願いします!」 私は進行方向右側で、放送がはっきり聞こえるよう、スピーカの真下の座席を確保しました。 |
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| 定刻通りの21時00分、あさま37号は発車しました。 ホームには大勢の鉄、報道カメラマン、見送り、見物客。 |
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(オルゴール) 「本日もJR東日本をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。 (オルゴール) |
| 高崎駅を発車すると「あさま」のタイフォンが長々と響き、 これから「あさま」最後の信越本線かとあらためて思いました。 北高崎、群馬八幡、安中、磯部・・・と一駅毎にさよならの挨拶を響かせていました。 各駅のホームや駅長室の外などで、見送る駅員さんの姿・・・。 横川は別れを惜しむ人であふれかえっていて、テレビ中継のライトもまぶしくおぎのやの人たちが (この日のために用意した?)旗を振って迎えてくれました。釜飯は売り切れ状態でした。 8分間という最後の横川停車。 19号機と3号機のペアが連結されたらしいです。 通路まで満員で発車すると長い汽笛。丸山の切通しくらいまで鳴らされました。 一緒に泣きましたよ、あたしゃ。ほんとに目頭が熱くなった。こういうの苦手なもので。 丸山で4重連の回送とすれちがいました。 丸山や熊ノ平をはじめ、沿線のほとんどに手を振っている人がいて、点々とビデオの赤いダイオードが光っていました。 |
| 座席に直接伝わってくるジョイント音は、初めて碓氷峠を下った3年半前の思い出を甦らせました。 大阪に住んでいながら東京に親戚をもち、東海道、中央本線利用の次に他のルートはないものかと探して気が付いた碓氷峠は、 大阪発のどの周遊券の経路にも入っておらず、わざわざ経路指定の乗車券を買うか18きっぷを使うしか方法が無かったにも かかわらず、調べれば調べるほど興味が増して来て、次第に碓氷峠を目的に通うようになり・・・ 絵に書いたような記憶が浮かび上がってきました。 短期間でこれほど好きになれた鉄道が他にあったでしょうか?? 惚れた、といったほうがいいかもしれないです。 |
| 長い汽笛をならして軽井沢駅到着。向かいの3番線には回送される185系が。 一番線の切り欠きホーム(?)に昼間見かけなかったEF63の2号機がいました。 軽井沢駅で聞いた話では、あのまま保存されるらしいです。 けど、なんだか寂しそう。ペアで残してあげればよかったのに..と思えてなりません。 途中、小諸や上田などでも最終「あさま」を見送る多くの鉄と人でごった返してました。 あさま37号はそれにこたえて汽笛をならします。 3分遅れて篠ノ井2353着。 反対側には電車化された「ちくま」が発車を待っていました。 自由席から階段までは遠く、駆け足での乗り換え。 跨線橋を登っているうちに「あさま」は行ってしまい「ちくま」に乗るとすぐに戸が閉まって、 VVVFインバータの音を響かせながら篠ノ井駅を滑るように発車。 あっけない「最終列車」の幕切れでした。 |
| それにしても、カメラ持っていかなくてよかったです。 一日中、肉眼でみることができたし、録音も一応してましたけど、 無理を承知でイヤホン類をまったく着けず、ピンマイクなので身につけたまま手も触れずに録ってきました。アナウンスが中心です。 30日だけで6回峠を上り下りしましたが、乗り足りない・・・。 それに、もうあの感触が体験できないなんて、未だに信じられません。 長野行き新幹線、しなの鉄道の第一日目も終わりました。 横川駅ではATSの絶対停止ライン「即停」の標識が設置され、あとは貼ってある黒いビニールテープをはがすだけの状態を見て、 私は横川を後にしました。 ついに、碓氷峠の廃止は現実のものとなってしまいました。 |
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そして碓氷峠は104年前の姿に戻りました。 おつかれさまでした。 峠を往来した車輛たち。 そしてそれに関った職員のみなさん。 30年以上も峠を守ってきたロクサンたちも きっと、もう疲れましたよね・・・。 私の中では今でもEF63や L特急あさまが碓氷峠を走り続けています。 |
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